PC9801時代その2
FDDを使うことを想定したマシンでは、電源投入時にIPLと言う、ディスクの先頭の部分を読み込む手順が、ROMに組み込まれています。これは、電源を入れたりリセットスイッチを押すたびに、マシンが自動的に行ってくれます。
つまり、この部分を応用すれば、ディスクを入れただけでOS上で使うアプリケーションを自動的に起動してしまう方法が採れるわけです。これが実現すれば、ディスクを入れただけで自動的にワープロなりビジネスソフトウェアがOS上で動いてくれます。 その上、ユーザーはその部分を知らずにワープロなどのソフトウェアが利用でき、この方法は自然とOSを導入できる、最適な方法だったのです。NECは、OSのターゲットとしてMS-DOSを選択。Microsoftからライセンスを会得し、PC-9801用に移植を行いました。ソフトメーカに対し起動する際のバンドル料、つまりサブライセンス料は「いっさい対価を求めない」と言った物でした。 ソフトウェア普及のためには、この方法が最適だったのです。さらに、BASICの命令をMS-DOSで動く機械語に変換するコンパイラも開発。MS-DOS普及のためには、こうした準備も必要なのです。
 その後、1983年にはPC-100やPC-9801Fの発売があります。PC-100は、文字を「絵」で表す方式を取り、PC-9801で取った文字を「数字」で表す方法とは対照的な仕様で、当時としては画期的な発想ではありましたが、文字だけを扱う場合は、圧倒的にPC-9801の方が早く あまり普及しませんでした。文字までを絵で表す方法は、CPUの能力を超えてしまっていたのです。 文字を絵で表す方法は、Apple の Lisa でも行われましたが、非常に高価だったために普及せずに終わりました。
IBMの日本支社である、日本IBMもまた、漢字が表示できるパソコンを開発しました。完成した機種は IBM PC/JX と名付けられ、1984年に発表。JXは CPU に Intel 8088を採用していましたが、IBM PC/XTをベースに日本語化したもので、これが失敗の元だったといえます。 Intel 8088は外部とのやりとりは 8bit で行うため、16bit化の波に飲まれてしまったのです。
後に日本IBMは、IBM PC/ATをソフトウェアのみでグラフィックスを使って日本語化する、PC-100と似たようなシステムを採用したOS、DOS/Vによってようやく日本語対応マシンを築き上げることが出来ました。1990年の出来事です。 PC/ATはPC/XTの最上位機種として発売されたマシンで、CPUにIntel 80286を採用、グラフィックスやインターフェイスを大幅に強化し、後に標準アーキテクチャとして生き続けることとなります。
日本IBMのPC/JXの失敗は、大きなダメージとなり、シェアを獲得することなく消えていきました。
 同年にはAppleのMacintoshが発売されています。MacintoshのGUIは洗練されたイメージがあり、価格帯も $2,495 と決して高くはありませんでした。しかし、メモリ容量128KBと少なく、フロッピードライブの容量も400KBと少なすぎたのが原因で目標をはるかに下回る販売台数 の低迷に苦しめられます。ハードウェアの問題以外にも、ソフトウェアが少なすぎたという事も上げられます。
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